改めて音楽は魔法なのかを考える話

ビバラで大森靖子を見てから彼女の音楽をよく聴くようになった

メンヘラっぽい曲からハードな歌詞の曲、どれも私の心にズブズブに突き刺さった

 

曲を聴いていく中で彼女のことも調べるようになった

そこで気になったのが「音楽は魔法なのかそうじゃないか」という論争

事の発端は大森靖子が出演したBAYCAMP2017での出来事

その日大森靖子は「音楽を捨てよ、そして音楽へ」という曲を披露していた

歌詞中には「音楽は魔法ではない」という言葉を連呼する部分があった

その日はそのまま終わりイベントもその事件がなければ無事終了を迎えるはずだった

だが大森靖子の出番直後に登場したYogee New WavesがMCで「音楽は魔法だよ」と言ったのだ

普段なら何の変哲もないMCなのだが、大森靖子は直前に披露していた自身の楽曲を真っ向から否定されたと捉えたそうだ

そのMCの後にベースの弦が切れて大森靖子のバンドメンバーのベースを勝手に借りたこともあり、大森靖子Twitterやブログでヨギーの発言・行動を痛烈に批判した

その後、ヨギーのメンバーが直接大森靖子に謝罪しに行こうとするも受け付けて貰えなかったり、映画監督の岩井俊二が「映画も魔法ではないよ」とツイートしたりと長引くのだがここでは割愛

結局ヨギーの公式ホームページで正式に謝罪しこの一連の騒動は一旦沈静化した

 

 

じゃあ実際音楽は魔法なのか、そうじゃないのかと改めて考えると、やはり音楽は魔法ではない

だって人の手で一から作られているものだし

それを「魔法」という単語ひとつで片付けるのも失礼な気がする

じゃあ絶対そうじゃないかと問われると、そうとも言いきれない

大森靖子本人もTwitterで「音楽そのものは魔法じゃない、音楽が魔法的な可能性を秘めているだけ。あとは自分とそこにいる人次第」と綴っている

例えば自殺志願者が「もう嫌だ、もう死ぬ」と自殺をしようとしてたまたま音楽が聴こえてきた時に、その音楽がその人の心に刺さればやめるかもしれないが、刺さらなければそのまま死ぬ

結局のところ聴いた本人がどう受け止めるかによる

そんなの元も子もないと言われたらそうなんだけどこれは事実だ

だってその曲が万人の心に刺さって穏やかな気持ちになったり犯罪を起こそうって気にもならない

この世は平和になる

よくそのアーティストのファンが「○○嫌いな人は見たことない」と言うが、実際はいくらでもいる

私も何年か前はサカナクションのことをそう思っていたが、「古ければいいと思ってる」と彼らを貶すような発言を目にしてから変わった

ただ見えてないだけだった

いくら自分が良くても、ある人にとってはなんも響かない、むしろ嫌いとも思っている人もいる

そんな魔法みたいな曲はこの世のどこにもない

 

じゃあなぜ音楽はなり続けるのか

UNISON SQUARE GARDENの「シューゲイザースピーカー」という曲には「どんなヒットソングでも 救えない命があること いい加減気づいてよね だから音楽は今日も息をするのだろう」という歌詞がある

先に書いたように音楽は魔法ではないけど、その可能性を秘めている

そしてそうなるには聴き手と作り手次第

だからミュージシャンは魔法になるために音楽を鳴らし続けている

 

なので結論、音楽は今のところ魔法であるとは言いきれないが、いつか魔法になる瞬間が訪れるかもしれない